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あたりまえの話だが、パスは格好よくやろうとか、きどってやろうとか、みえきるためにやろうとか、そんな馬鹿のことを考えてはいけない。
それで、まことに失礼なことを言うのだが、この世界で才能の無い人は、これにまるで、関心を示さない。才能のある人は、物凄く早く反応する。自分が出来ようが出来まいが、これだけは、ほとんど本能的に反応する。
「秘すれば、花」この世阿弥の名言は、このクラシックパスにある、ある種独特の精神世界を見せてくれるのです。
だから、上手くなろ。練習しよ。解るやつは解るから。
@ ブレイクの中に、小指をこじ入れます。
そして、左手で、デックの上半分を感覚的に確保します。
A 解りやすいように、右手を取った写真です。
B 上パケットを横に引くというのでなく、真後ろに引くという感じで、パケットを下ろします。
この時大事なことは、まず右食指を、突っ張りたくなったら、我慢すること、そうするよりも、逆に食指を、軽く短く曲げてしまい、下パケットをそれで押さえる。
C その曲げた右食指と、右小指と左親指で、下パケットを跳ね上げる。
左手の小指は、パケットが後ろへ下がってからはずします。
ただし、この小指をはずすのは私の癖でして、小指を折ったまま、次に移れる方はそのほうが良いです。
左食指も気をつけて、けっして突っ張って伸ばさないこと、これをやると全体の印象から、何かやったと直ぐわかる。
それでですが、吉田さんは、ヴァーノンではなく、スライディニーを追っかけていたのです。
いいでしょ、たまらなくいいです。この見ている角度がたまらなくいいです。当時、木先生に代表される、ヴァーノン派は体制派であり隠然たる実力者達のサロンを形成していました。構成メンバーは医師、弁護士から社会の上層部の人々で、冗談でマジックをやっているという感じではないのです。
だからといって、先生の人柄から、来る者は拒まずで誰とも公平に付き合ってくれたのです。本当にこの人偉い人です。
ところが、吉田さんは吟遊詩人のように独自の道を歩いていたのです。そして、マジックの芸術性を一人説いて回り、若い人たちの独特の支持を得ていたのです。
世の中、凄い人がいるのです。その吉田さんの得意技がこのクラシックパスだったのです。
くやしいかな、実現している人に始めてあったのです。その時の感想。なんと、しかし、ふぇ〜、しょうがないか、上には上がいるんだよ○○君、という具合で、観念してしまったのです。そうして、私は、このカリヨンに居座ったのです。
クラシックパスのできる人間に初めて出会いました。クラシックパスを知っている人間は、多くいます。今は小学生でも好きな子は知っています。
しかし、できる人間ということになると、多くはいません。マジシャンは、パスはミスディレクションのもとでやるべしと、解ったようなことを言いますが、これ大間違い。
現実の人間の洞察力を過小評価しています。そして、ミスディレクションを誤解している。解っていない。そんな単純なものではないですよ、この20世紀が生んだ、究極のノウハウは。
サイエンス(科学)は人類の生んだ、最良の方法論です。そこに到達するまでの、まさに試行錯誤は、ある意味探求者達の命までかかっていたのです。
でも、今や、信仰に近いこの方法論に齟齬(ソゴ)が生じ、行き詰ったらどうするかを誰も考えていない。そしてそのようなことが起こる事すら信じていない。
しかし、起きたら、どうするか??。それは、よろしいかな。見捨てるふりをするのです。さすれば、有る物を無くすこともでき、そして、無き物を目の前に出現することさえできるのです。
煙に巻くようなことを言いましたか。でもなんとなくミスディレクションが解ったような気分になりませんか。
ははっと、どうもこの話になると、少々、もののけにとりつかれるので、ここまでとします。
パスに戻ります。吉田さんのこのパスは、私が望んでいた通り、正面に強いパスなのです。そうでなければ意味が無いのです。
テーブルの特異性に彼は、おそらく私より早く気がついたのです。
分解写真を撮っても、今ひとつなので、ズバリ裏側からの映像を撮ることにしました。
エッこんなにオーバーアクションなのと、びっくりした方もいるのではないかとも思うのですが、低い正面からの視線を避けるように動くとこういう軌道になるのです。
この軌道の発見こそが、吉田さんのオリジナルなのです。
それで、意外なのですが、このパスは、正面だけではありません。かなり広角度で秘匿性があります。
これは、吉田さんのやり方を模倣したやり方なのですが、厳密には、細かいところが違います、それは、私の個性による微妙な特徴的変化が違うからです。
しかし、アウトラインと、コンセプトは間違いなくあの人のものです。
これだ、と思ったあの若き瞬間に戻ることができませんが、その後の精進は創案者より上手くなるかどうかということではないかなと思っているのです。
またも、昔々から始まります。 我々の時代のエリートの技、それがクラシックパスでした。
当時これに対する真剣な研究と、実行をなしえる人物がいなかったのです。
多くの研究書が、海外でも発表されていたのですが、どうもいまいちで納得の範囲には無かったのです。
日本のレベルがその程度なのかとあきらめることもできなくは無かったのですが、必ずあるという、予感がずっと頭の中にあったのです。
どうしてその予感があったかといいますと、両手を使えるのだから、最悪はデック二個分の空間さえ確保し、それを両手で覆って隠してしまえば何とかなるという気がしていたのです。
しかしその結論がなんなのかが、具体的な手の動きのイメージとして浮かび上がってこなかったのです。
純粋に技術論で行けば、左手でチャリアパスをして、それを右手のひらを広げ、見えないように、カーテンのように広げて遮断することもできることはできるのですが、これでは話になりません。
長い間の暗中模索が続きました。要求不満の思いは積もり、積もって言ったのです。
一番の問題点は何なんでしょう?
それは、このクラシックパスは正面からの視線に弱いということなのです。とくに当時、日本では、生活習慣が変わりつつある時代で、家庭にようやくテーブルなるものが入ってきた時代なのです。
それで、テーブルに互いに腰を掛けて、何かを見せ合うとか、何かで遊ぶという習慣がなかなか身につかなかった時代だったのです。
テーブルは、仕事中か、食事中かのどちらかで使われ、一家団欒にしろ、友達同士の会話にしろ、どうもテーブルはなじまなかったのです。そのような時は、コタツかちゃぶ台のほうがリラックスできたのです。
そして、このテーブルとコタツの違いは何かといいますと、テーブルのほうが、外人さんにサイズを合わせていたためか、今だに背が高いのです。
どのくらい高いか測ったことはありますか?まず5センチは高いです。
さてそうゆう状態で、ギャンブルにしろ、マジックにしろ、やって見せた場合どうゆう事になるかといいますと、視線の方向がほぼ真ん前から射してくるのです。幼い子供が、鼻を天板にくっつけて見ているようなもので、下手をすると、カードを置く動作にしても気をつけないと、フェイスが下から見えてしまうのです。
そのような状態で、カードを持ち出して、クラシックパスをしても、デックなど正面の前エンドしか見えないのですから、旧来の方法を、いくら練習してやったところで、見えてしまうのは、当たり前のことなのです。(写真 1)
よく、マジシャンがテーブルを前にして、立ってテーブル マジックをするのを見かけますが、これは邪道です。立ち芸をするなら、テーブルは取るべきなのです。
しかし、この中途半端なやり方なら、両腕をだらりと下げられるので、クラシックパスはやれるのです。(写真 2)なんともおかしなことになってきたのです。
解決策を、模索し続けました。そして、いろいろな人のクラシックパスを見て回ったのですが、駄目なのです。納得できるものが見つからないのです。うろうろと探し回りました。
そうしているうちに、とうとう見つけたのです。マジシャンというのは、常識から考えるとおかしな人種でして、そのおかしな人種の中に、異彩を放つ人がいるのです。
慶応OBの吉田さんに会うことができたのです。この人も不思議な人で、KMSとは関係なく独自の道を一人で歩いていたのです。
たしか、木先生もKMSとは違う独自の道を歩いていたのではなかったかと思うのですが、とてもじゃなく、同好会的なサークル人とはまるで人種が違っているのです。
芸術家というのはどの世界にもいるようで、良く言えば自意識過剰でゴーイング マイウェイですが、悪く言えば協調性の無い独りよがりです。人間関係は下手糞ですし、そもそもそのような事があるということことも解らないというのが多いのです。(先生を除いて)。