
前掲の写真ではあまり違いが解らないので、角度変えて撮りました。 こちらなら良くわかると思います。左が小指、右が薬指です。
それでは、スキルを少し追います。上の写真と下の写真の違いは歴然だと思います。
上の写真は、通常のやり方です。このやり方ですと、左手のひらが、ほとんど全部露出してしまい、アクションがオーバーになりすぎるのです。
ところが、下のやり方なら、気配は少ないのではないかと思います。
何が違うのでしょうか、これは、当時現役の東大生、下河原君に教えてもらった方法です。
ちょっとした事でこれほど違うのです。上は通常どうり、小指に引っ掛けています。
ところが、下は薬指にひっかけているのです。たったそれだけのことで、まるで別の技法ではないかと思うほどの違いがあります。ぜひお試しあれ。
当時、インテリにも凄いのいたんですよ。本人気づいていないから、もうこちらが嫉妬するほど上手いのです。
すみません。写真をお借りしました。私が持っている写真は先生の若いころの写真しかなかったので、もしクレームありました。取り下げますので、貸してください。


一つだけ、自慢話をさせてください。これは木先生が聞いたら迷惑がるだろうとは思うのですが、私のほうは、結構本気なので、書きます。
ワンスアポンナタイム。1970年代初頭、新宿に小さな薄暗い喫茶店がありました。そこにどういうわけか、マジックのマニア達が自然と集まり始めて、一つのグループができたのです。そこで自分達で、この喫茶店の名前を取り、グループの名をカリヨンと命名し、活動をし始めたのです。
グループのリーダー格は、慶応OBの吉田さん。この人を中心に、実力肌のマジシャン達が、研を競ったのです。カップと玉の斉藤さん、遊びの天才ファントマ、立教の実力者大和田チャン、天地のディーラーだった茅場さん、とにかく若手錚々たるメンバーが、日曜の夜に自然に集まり、閉店までねばったのです。
そうこうしているうちに、我々だけでも何かやらないかという話が持ち上がり、何処かを借り切りやろう、やろうという話になったのです。不思議ですが、実力が伯仲していると、自分達でも何かやりたくなってくるものなのです。
そして、小さな公民館だったか、それを借り自分の得意芸をやることにしたのです。私も自分の今までの中の得意種目を手順に組んで、その場に臨んだのです。
手順が進んでいき、最後の十八番(おはこ)に入ったのです。わたしはこれを、当時三年間こればかりを練習していました。
気がつくと、いつのまにか木先生が、その巨体で私の目の前、正面の席に陣取っていたのです。さて、それではと言うことで、そのフィナーレをはじめたのです。ヴァーノンの傑作、ソロ フォーエイス、この天才がその歴史を知り尽くしてなお創造しえた傑作です。
それの、原案中の原案を忠実に自分の解釈を加え、演じたのです。なにも考えていませんでした。無心とは今にして思うとこのことかもしれません。ただ、気のみが充実して、何も恐れることも、何も恥じることも、何も苦しむことも、煩悩??
そして、気づいた時に、演技は終了していました。私は、充実した幸せ感に包まれていました。
そして、ふと視線があうと、演じた私より、先生のほうが、興奮していたのです。先生は、興奮するとお顔に赤みが差し、鼻を膨らませて、饒舌になるのです。
「○○さん、どちらでその原案をお知りになりました。」
来た来た来た、先生は年下だろうが、正体不明だろうが、良いものは良いという主義なので、誰に対しても、敬語で始まります。
別に先生をターゲットにした訳ではなかったのですが、偶然の勝利というのが、あるのです。そしてそれはひょっとすると先生にしか解らないことなのです。
先生は、ヴァーノンの研究家として日本では第一人者であることを自負していました。そして我々も先生を通して、ヴァーノンを知ったのです。
それでその、ヴァーノンですが、ヴァーノンの作品には不思議なオーラのようなものがあって、普通ヴァーノンがあるプロットに基づいたオリジナルを発表すると、ワッとばかりに多くのマジシャンが改案を、次々と発表するのです。日本で有名な現象は、彼のオールバックを皆がいじくりまわしたということがあったのです。もう小学生のちびっ子マニアからも見せられたことがあります。
ところが、どれも残らないのです。そして必ず出る言葉が、ヴァーノンはオリジナルがいい。原案に勝るものがない。これ本当にこうなるのです。
それほど、完成度が高いのです。改案のなかには、いいものがいっぱいあるのにです。
で、このことは、先生の確信を越えた、信念になっていたのです。それで話を少し戻します。
実は、私の演じたソロ フォーエイスには、原案が二つあったのです。どういうことかといいますと、ヴァーノンが最初に発表した原案は、この項の動画でご覧になった。スイング パームを使うようになっていたのです。
ところが、この技法が、左手への複数枚数のボトムパームということなので、少々、一般的には難しすぎたのです。そこで、ヴァーノンが自分のレクチャー用に右手トップパームをするように改案して再度発表しなおしたのです。
これは、ヴァーノンのプロ意識がさせた、客に対するサービスだったのです。そして、日本では、先生が紹介したこのレクチャー用の手順が一般的だったのです。
もうお解りだと思いますが、私が演じたのは、上でも述べましたように、まさに原案中の原案、最初の方法だったのです。
それでですが、先生はもちろん最初の手順は知ってはいたはずです。しかし、私の演技を見るまでは、これほど良いとは思ってはいなかったのではと思うのです。なぜならば、演技し終わったあとの先生の狼狽振りはあまり見ることはないと思えるほどだったからです。
そうなんです。先生、ヴァーノンは、先生の思う通り、原案のほうがいいのです、それはたとえ改案者が本人であってもです。
その後、私はこの演技を人に見せていません。このとき以上に上手くいくとはとても思えないからです。
時々、私のレパートリーを知っている仲間や、後輩が、見せてといってくるのですが、手の状態が悪いからと分けの解らんことを言って逃げています。
それに、先生がお亡くなりになった事を知ることをできなかったこの身を恥じて、もうこの演技は、絶演としようかと思っているのです。