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@ 同左
A 同左
B 2枚に分割しますが、まっすぐ左へ出し、そのままテーブル上に置きます。
C 元のフェイスカードを天海パームし、右手指先で、チェンジしたカードを、天板上でこすります。
D 変化したことを見せます。
@ ダブルリフトをします。
A このフェイス アップ カードを右手に取ります。
B テーブル上に置くと同時に、2枚に分割します。
C 分割した持っている上のカードを、食指と親指で持ち、元のフェイスカードを、天海パームします。
D フェイスを返します。
前半が天海先生のチェンジです。後半が、マルローのミラクル チェンジです。ただそのように分けましたが、パームはまさしく天海パームですから、同じ物と見てかまわないのではないかと思います。
石田 天海です。マジックの世界は、非常に不思議な世界で、やっていることが、非常識な故にか、そこにいる人たちのルールもなんとなく変わっているのです。
なんていうか、共同正犯的、知的共犯意識が、強いのです。ですから、プロもアマも垣根が無いのです。
天海先生は、アメリカでプロ生活をもう何十年と続けた方なのですが、好奇心の方向がまるで我々と同じなのです。
スライハンドと、トリックの集合体としての究極の芸。これの追求に熱心だったのです。
日本にアーティストがいないと、声高に叫ぶのは私ですが、先生は例外中の例外です。先生こそ、日本のアーティストなのです。
まじめですもの、このまじめさが他のプロと称する芸人達には真似ができないのです。(めちゃくちゃ言っていますが、これ本音、御免。)
質素で、倹約、お絹、大好き。そして、トリックへのパターンの認識の仕方が、非常に知的なのです。
正規の大学教育は受けてはいないはずなのですが、インテリジェンスにあふれているのです。
彼だけなのです。日本人で、アメリカのマジックに影響を及ぼしたと言うのは。マジックの多くの技法群の中に、自分の名前を冠した技法群を持つのは、先生だけなのです。Tennkai's
drop,Tennkai's palm,Tennkai's vanish 等々。
今は、メジャーではありません。ですが、今後1000年の人間の歴史は、必ず彼を振り返る時があると思えてしょうがありません。
マジックは、今だ体系だった概念にはまだなっていないのです。私は、この自分のHPのあちこちで、それらしきことは、断片的に言ってはいますが、まだその鳥羽口で、気づいたことを、懸命になって言っているだけなのです。
さて、前振りはこのくらいにしまして、上手くいくかどうか解りませんが、先生に代わりまして、基本から参ります。それは、天海パームについての話から始めます。
パームについては、オーディナリ パームを基本として、それだけの説明を別項でいたしましたが、今度は少々変わった、パームの話です。
オーディナリ パームの欠点とはなんでしょうか。それは、指を開くことができないことです。
それで、申し上げましたが、人間の手は指がくっついていると言うことは、日常ありえないのです。指は、気まま勝手に無意識のレベルで、動き回っているのです。
それゆえに、手を閉じている状態と言うのは、日本流に言うと、合掌しているときとか、手刀を切っている時とか、少々、神事に関係しているような、特殊な状況下でしかないのです。
現代泳法でも、泳ぐ時は手を若干開いて、水をかいたほうが良いとされています。
このようなことですから、まるで、パームしている手とは奇異な手なのです。それを天海先生は、思いきって、見きって、エイヤット、リラックスしてしまったのです。
これが、発想の大転換だったのです。当時アメリカでも、無くは無かったのです。ヒューガードもリア パーム(後方でのパーム)として、解説していますが、少し考え方が違うのです。
どういうことかと言いますと、外人さんは手が大きいので、カードをコインの延長のように考えて、手のひらのヒラの中心で包み込むようにして、保持すると言う行き方をしたのです。(左の写真)
ところが、悲しいかな我々日本人は、それではカードは大きすぎて持てないのです。でしかも手のひらのヒラだけでは、隠しきれず、これがまた心もとないのです。
と言うのは、公平に何処からでも見えてしますからです。そこで、先生は思いきったのです。
そこで次に、この動画を見てください。
つまり、角度的に限定すればよいと言う考え方に変えたのです。そこで、思いきって、親指と手のひらで持つことにしたのです。(左の写真)
これが、ドッキリだったのです。先生の Tenkai's
fring card の手順の最後にこれで、片手での完全チェンジを実現させ、世に問うたのです。
アメリカのマジシャンの間に衝撃が走ったのです。手の大きい小さいは関係の無い良い見本なのです。モーションと使い方を考えれば、はるかに自然にできることを先生は示したのです。
ヴァーノンの”ビー ナチュラル”(自然に。)とは、こう言うことをいうのではないかと問い返されて、彼らは困ってしまったのです。
小さな拍手が始まりでした。そして、それぞれが解り始めたのです。それは、皆で共有できる、理解にまで達した時、喝采となったのです。
