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G
H
@
A
B
C
D
E
F
このEからF、Gと移る時が、最重要ポイントです。彼にさんざんぱら、指摘続けられた、肝心要の呼吸です。
どうするかといいますと。Eのように左手で、カードを叩く瞬間、まったく同時に右手でフェイスを一枚リアパーム(もしくは、天海パーム)へもっていきます。
そしてかえす、中指で変化したカードを叩くのです。
この、まったく同時というのが、難しく。むしろ感覚的には、フェイスの交換を先にやってから、左手で叩き駄目押しに、右手で叩くという感覚まで持っていければ、大成功です。
ぜひ、知っておいてください。遠き過去の記憶の中の、多くの天才達を、人知れずこの世を若くして、去っていったことを、どの世界にもこの様なことは、数多くあります。
印象派の画家達の悲劇。新劇を立ち上げたころの、おおくの役者馬鹿達、俳句が死滅しそうになった時、立ち上がった、病没した正岡子規。
そして、マジックの世界にも、道、志、半ばで、自ら、生涯を閉じた者、いるのです。我が魂に殉じたのは、ゴッホだけではないのです。
暗い話ではあるのですが、しかしこの世界に縁のあるものとして、書き残しておきたいのです。
彼は、当時まだ高校生だったのです。一目見て、解るのです。その能力と、才能、そしてグッド ルッキング、どれもが優れていたのです。
ところが、日常がまるでだめなのです。その断絶したような大きなクレバスが、まるで冗談のように平気であるのならよいのでしょうが、少しづつ彼を蝕んだのです。
いつも、くわえタバコにブレザーを、袖に手を通さず肩から羽織、我々よりも少しばかり前の太陽族のスタイルがどんぴしゃで、それがまた超絶的にかっこいいのです。
研ぎ澄まされた感性と暴力的知性、それが、片倉雄一君だったのです。
出会いは、私が新宿の小田急の手品売り場のディーラーをやっていたときです。ある日曜日の夕方、ノコノコとやって来て、会った瞬間、互いに同類はわかったのです。
そこで彼は、自分の得意とする、カードマジックを、二つ見せてくれたのです。その中の一つがここで、演じた、この チェンジなのです。
考案者は、彼ではないはずなのですが、(当時、彼は天洋を出たばかりの加藤英夫さんの研究に熱心でしたので、加藤さんのオリジナルかもしれません。)間違いなく考案者より上手く演じています。
で、その日は日曜でしたので、カリヨン(他の項で、紹介した、グループです。)の例会の日なので、仕事が終わり、そうそうに出席したところが、何かの導きのように彼がそこにいたのです。
私と売り場でおしゃべりをした後、とりとめもなく新宿をぶらついて、疲れて入った喫茶店で、仲間たちが、テーブルにカードを広げやっているので、仲間に入れてくださいといって、混ぜてもらったとの事だったのです。
偶然とはいえ、何かの因縁めいたものを感じる出会いだったのです。その後彼とは、職場まで同じになり、しばらく付き合ったのですが、私が冬眠に入り、没交渉となって、15年、遠くから、そして、細く聞こえてきたのです。「おーぃ片やん自殺した。」
なんたることか、その後の彼のことは、まるで知りませんでした。なんともったいない、自分の才能の価値に気づいていないとは、人生は、中途半端でもいいんだということに何故気がつかなかったのだ。
その日一日、悲憤慷慨やるかたなく、一人で、一人の若き才能を送ったのです。
このチェンジは、彼の得意技で、いつも教えてもらい、見せて注意され、また練習し、見せてまたも違うといわれ、そうやって覚えていったものなのです。
当時、私もまだ若く、やる気満々のころだったのです。
♪ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン。♪
SMAP